kozmoは苦手

不定期です。がんばっていきます。

今日、岡山メルパの幕が降りた

私は、大がつくほどのおばあちゃんっ子で、1番好きな家族を挙げろと言われたら父よりも母よりも、真っ先に祖母だと言う。

祖母とは、私が幼少の頃から2人でご飯に行ったり、美術館にエジプト展を見に行ったり、
そして、よく映画館へ映画を見に行った。
2人で行く映画館は決まって岡山メルパだった。
まだ岡山駅前イオンモールも出来ていなかった頃、駅前商店街の外れにあるメルパは駅周辺に住む人間にとって馴染みの映画館だ。

そんな岡山メルパが今日、閉館した。

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まずはお世話になった映画館に、感謝の意を述べたいと思う。
33年間お疲れ様でした。ありがとうごさいました。

1988年から始まった岡山メルパの自分の中の最も古い記憶は、2002年なので、実に20年間お世話になったことになる。

初めての映画館、初めての映画の記憶はサム・ライミ監督の「スパイダーマン」だ。

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当時カートゥーンネットワークでアニメ版スパイダーマンを見ていた自分にとっては、ウェブシューターの廃止や暗いストーリーがあまり良い受け止め方を出来なかった思い出がある。

岡山メルパでは面白い映画、そうでない映画を沢山見たが、全てが今の自分の感性の糧となっている、そんな気がする。

イオンシネマで見る映画、TOHOシネマズで見る映画。もちろん、映画を見るだけならTSUTAYAで借りたり、昨今ではサブスクリプション配信サービスも多彩だ。
だがやはり、こういった昭和の雰囲気の残る劇場で見る映画というのもなかなか趣のあるものなのだ。

しかしながら最近では、こういった映画館は閉館に次ぐ閉館。歴史に残す建物だと思う自分がいる反面、これが時代の流れなのだと、進化していく世間に飲まれていくのだと、そう思う自分もいる。

今日1月31日、時代の節目を物語る映画館が閉館すると聞きつけた人達が、岡山メルパの前に集まっていた。

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この映画館での最後の上映は「ファイトクラブ
映画「セブン」のデヴィッド・フィンチャー監督の作品だ。


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私は仕事の都合でラスト上映には間に合わなかったが、閉館には立ち会えた。
中から映画を見終わった人が出てくる。
映画を見終わったあとに外に出るのは普通のことだが、こうやって出てくる人を眺める経験などなかったので新鮮だった。
そそくさと帰る人、感想を言い合いながら出てくる人、迎えを待つ人。
そう思うと、映画館で映画を見ている時のように、皆が同じことを同じ時にするという体験は、社会人になってからではなかなか無いのかもしれない。

「全然思ったよりおもんなかったわ!」

一際大きな声で中年の男性2人組が出てきた。
最後の最後に上映する映画を決めた映画館の係員の前で言うことではないだろう......とも思ったが、映画というのは元来面白い面白くないなど人が勝手に決めることなのだ。私なら絶対に言わないが。

「でもさ、俺らがこうやって面白い面白くないって、そう感じるのもここで沢山映画見たからなんだよな」

2人組のうち1人がそう、言った。
その通りだ。面白いものを見たから人は面白くないものを理解する。面白くないものを見たから人は面白いものを理解する。
そうやって人の感性は育ってゆく。

当たり前のことだが、知っているのと実感するのでは全くの別物であり、私は今とても実感した。


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全ての人が出払った。
係員の方々がお辞儀をし、シャッターが降りる。
岡山メルパでは、映画が終わるとスクリーンの手前の幕が閉じる仕様になっている部屋があり、私はその閉じる幕が好きだった。
またひとつ映画の歴史を物語る幕が、降りる。

「皆様どうか、映画の火を絶やさないで、これからもよろしくお願いします。」

館長の言葉に深く、お辞儀をした。

私達が絶やしてはいけない火は、映画そのものだけではないと思う。
もう、業火のように燃え盛ることは無いのかもしれない、時代の風に吹かれて消えてしまうかもしれない。
けれど、私のような映画好きの中に、小さな小さな、絶やさずに燃やし続けている火があることを忘れないでほしい。
然るべきとき、大切な時に薪をくべることを思い出せるように。

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